Sekiの本と詩とエッセイのブログ

おすすめ本や自作詩、エッセイなどを載せていきたいと思っています。

「悪霊」ドストエフスキー 岩波文庫

現代の黙示録とまでいわれる本書は、他のドストエフスキーの作品と一線を画します。この点、シェイクスピアのマクベスに似ています。これは、単なる文学上の趣味的な見方でいうのではありません。主人公のスタブローギンは徹底して悪の道を歩きます。それも、最初は単なる興味本位からですが、それが、スタブローギンの行く道を決めます。「彼の顔は美しいが、まるで仮面のようだ」と人々は噂しあいます。ある政治結社が影のように彼に付きまといます。あるとき、これも興味本位から、ある少女をかどわかし、和姦するのですが、その少女は「神様を殺してしまった」と自殺します。詳細に描かれた場面ですが、彼の理性は正常そのもの、健康そのものに働いています。数々の悪行の後、一瞬、良心の呵責が彼の全身を揺さぶります。ですが、それも夢のように過ぎてしまい、後に何も残しません。ただ、少女の幼気な姿が彼を悩まし続けますが、彼の本性を変えることはできません。知力も体力も精神力も抜群の三拍子揃った能力を兼ね備え、生まれながらの貴族とまで言われながら、虚しく自死し滅びます。彼を取り巻く人々も、奈落の底へと沈んでいきます。黙示録的な滅びの姿です。


「白痴」ドストエフスキー 岩波文庫

「罪と罰」を書き終えた著者が、「無条件に美しい人間」を書こうと筆を執ったのがこの小説です。「キリスト公爵」と呼ばれるムイシュキン公爵がその人ですが、不思議なことに「あなたはキリスト教徒か」と問われ、ムイシュキンは黙っています。人々を途方に暮れさせるようなムイシュキンの純潔さには、ある形容し難い奥行きがあって、人々は、彼に胸襟を開き、誰にも言えなかった心の内を打ち明けます。人を惹き付けて止まないムイシュキンという男はいったい何者か。人間性という謎がこれほど裸形になった小説はかつてなかったでしょう。ドストエフスキーは図らずも、ロシア風の社交性を持ったゴッホを書いたようです。


「バッハの思い出」アンナ・マグダレーナ・バッハ 講談社学術文庫

音楽の父ヨハン・セバスチャン・バッハの二度目の妻アンナによるバッハの評伝書です。およそ、音楽家の妻として、その夫について、これほどの評伝を残せた女性はアンナぐらいでしょう。それも西洋音楽史上、最上級の破格の天才バッハであったことは、後世のわれわれにとっては、何物にも代え難い最上の贈り物となりました。バッハの着実な忍耐強い生活を語り、そのバッハの、投獄の憂き目にさえ遭った頑固さを指して「あなたは、誰もみんなが書いたような音楽を書かなくても、あなただけは今と同じような自分の音楽を書いたでしょうよ。」と精一杯の皮肉を言うくだりは、夫婦の機微を的確に表して余蘊がありません。妻自身によるバッハ評伝の白眉です。


「平家物語」梶原正昭・山下宏明校注 岩波文庫

軍記物の一大叙事物語です。平氏の絶頂から没落までを具に描き、つはものたちの躍動感に満ちた言行を簡潔な和漢混交文で活写します。木曽義仲の最期などは、真に武人らしい最期で、芭蕉が惚れ込んだものです。時代の意匠であった仏教思想は、手玉に取られているようで少しも抹香臭さを感じさせません。男らしい人間臭さが、紙背から滲み出てくるような雄渾な闊達さです。平家の人々は、誰はばかることなく、よく笑いよく泣きます。御着背長<おんきせなが>が翻り、たくましい馬が駆け抜けます。目を奪われるような鮮やかで純真な武人たち、人々の姿です。歴史の重量感をしかと感じられる物語です。

「女の一生」モーパッサン 新潮文庫

モーパッサンの作品中、もっとも有名な小説です。ある平凡な貴族の娘の平凡な一生が、鮮やかに活写されます。ここにも、著者は特に優れた人物は一人も描いていません。モーパッサンの作品では、自身を題材にしたいくつかの小説を例外として、著者自身ほとんど顔を出すことはありません。この小説の最後で、ある平凡な女の語る言葉はつとに有名です。「人生というのは、人が考えるほど良くもなければ悪くもないものですよ。」我々はここからどのような人生上の観照点を見出すことは不当でしょう。そんなことは、そもそも著者のモーパッサン自身が行っていないのですから。不思議な名著です。