Toshiの詩とエッセイのブログ

自作詩やエッセイ、おすすめ本などを、載せていきたいと思っています。心に響く文章を書きたいと願っています。

リチャード三世 <女心を知り抜いた野心家>

シェイクスピアが創造した数多くの魅力的な人物の中でも、異彩を放つ人物像です。


体型は背が曲がり醜く、風采の上がらない男ですが、口が天才的にうまい。その口を武器に、あらゆる権謀術数を駆使し、特に地位の高い女性を言葉巧みにたぶらかし、胸に秘めた野心を実現して王位につきます。


まさに、立て板に水のその驚くべき口のうまさを味わうには、原作を読むのが一番です。女心を知り抜いた野心家とはどういうものか、この一冊で分かります。

日本仏教 <雑感>

女→論→教え→信仰 という日本仏教の流れ。


記録されている限り、日本の最初の出家者は女であった。このことは、日本人の仏教に対する態度として、多くのことを示唆している。


伝教大師は、当時の仏教が論であることを嘆いて、中国に渡り、教えを伝えた。その後の鎌倉六祖である。


この流れは、何を示唆しているであろうか。


法然上人と親鸞上人を一人格と見る鈴木大拙の直観。これは卓見のように思える。鈴木大拙の他の言はあまり感心しないが。


親鸞上人の六角堂の夢告によって、信仰は再び、元の女に戻るように思えてくる。


閑話休題


徒然草の仏教についての一番の特徴は、仏教が基礎から崩れそうになるまで論を進めて、その崩壊の寸前のところで食い止めているところである。


「その身につきて身を破るもの数知れずあり。家にねずみあり、国に賊あり、・・・僧に法あり。」これは、仏者の思想ではない。隠者、横町の隠居の思想である。


兼好はずいぶん女にもてたそうである。


念仏と題目、天台では両者はひとつのものであるが。


「死の家の記録」 <人間の可能性の宝庫>

作者は四年間、政治犯としてシベリアの監獄で獄中生活を送りました。その体験から書かれたのが本書です。


確固とした写実性に貫かれ、囚人たちの異様な、また最底辺の日常生活が克明に描き出されます。ダンテスクとまで評された風呂場の情景。凄惨な三千にも及ぶ笞刑。労働の本当の在り方を問う廃船解体の場面。


野獣としか言いようのない囚人から、驚異的な精神力を持った囚人。また、比類ない人間性の輝きを放つ囚人、民話から抜け出たようなお人好しの囚人等々。無私に徹した作者の見事な観察眼によって、鮮やかなありのままの人間たちの姿が目の当たりに見えてきます。ドストエフスキーの名を世界的にした名作です。

和牛の不思議

現在、一番うまい牛は、世界で公認されている和牛である。オーストラリアがWagyuの商標を取って世界に売り込んでいることでも知られる。


だが、明治期になるまで、日本では牛を食う習慣はなかった。こんな滋養に富んだうまい食品が、すぐ近くにごろごろいたのに、また、どうしてだろう。


日本人の寿命が延びたのは、食の欧米化のせいとされているが、わたしは、この原因は抗生剤の発達のおかげだとにらんでいる。


日本人は経験知の豊かな国民である。牛が健康に適った食品であったなら、和牛を食わなかった理由が見つからない。牛車や農耕用の働き手として使われてはいたが。


当時の社会の最下層の人々が食べていたことは知られているが、彼らの健康状態を推し量る文献は見当たらないようだ。


どうして、また、精をつける食品が、牛ではなく、鰻だったのだろうか。不思議である。また、そこまで、牛を食うことを忌避する文化をあっさり捨ててしまったことも、同じように不思議である。


ある日本人は、自分の体よりも大きなものを食うことは、良くないと言っていたが、迷信めいていて、あまり、説得力のある意見とは思えなかった。それでは、鯨を食っていた文化はどうであるのかと思った。


なんとも、不思議に思えて仕方ない。まるでイスラームの豚のようである。明治期までであるが。