Sekiの本と詩とエッセイのブログ

おすすめ本や自作詩、エッセイなどを載せていきたいと思っています。

「リア王」シェイクスピア

シェイクスピアの四大悲劇の一つです。リアは領地をめぐる話し合いの際、最愛の娘コーディーリアから、素気ない言葉を聞き、あっという間に信用のならない二人の姉に領地を与えてしまいます。この振る舞いが劇に正邪の反転したような狂気の性格を与えます。リアの怒りは自分の蒔いた種に他ならないのですが、自然力を思わせるようなその狂的な怒りには、何もかもを飲み込んで行く奔流のような抗し難い偉大な勢いがあり、われわれはリアの死の最後まで、固唾を呑んで劇を見守る他ありません。裸形となった狂気の真の意味を問う悲劇です。


「善悪の彼岸」ニーチェ

ニーチェ自身が、「わたしの哲学を学ぼうと思う者は、まず、この書から読むといい」と言ったニーチェ哲学への入門書です。巻頭言に「女が真理であったとしたらどうであろうか」という言葉が載っています。ニーチェにとって真理とは机上の論理ではありませんでした。常に人生や生活の直中で試みられ、生き続けなければならないものでした。そこに、退っ引きならない悲劇が生まれます。大いなる不幸、大いなる醜悪、大いなる失敗、それらを堪え忍ぶだけではならない。進んでそれを愛さなければならない。ニーチェの思想は、さらに先端を鋭利に研いだキリスト教に他ならないようなものがあります。「ツァラトゥストラ」は老いて円熟したイエス・キリストを念頭に置かなければ書けないものでした。


「幸福について」ショーペンハウアー

ショーペンハウアーは幸福について独特の考えを持っていました。ショーペンハウアーの隠れた思想に貴族主義があります。精神の貴族として繊細な感じやすい精神を持った人間は、できるだけ俗悪な人々との交渉を避けて、安逸な静かな生活を送るように心掛けるべきだと言います。弟子のニーチェの考え方とは相容れないものです。ショーペンハウアーを最初に認めた人はゲーテでしたが、彼は、そのゲーテを私の見解と正反対の生き方をした偉人として讃えています。「意味」の腐食剤としての彼の所論はここでも至る所で作用し、強い毒を隠し持った書物です。


「意志と表象としての世界」ショーペンハウアー

ニーチェの師匠に当たる、ドイツの哲学者の主著です。ニーチェ自身は、この人の書いた本の第一行目を読むや、あらゆるページのあらゆる言葉を謹聴せずにはいられない読者であったと書いています。この書は、東洋哲学、特に仏教の華厳経の影響が顕著です。滝のように流れて止まない現象の非情性とそこに虹のように掛かる本質のイメージの美しい様相は、日本の華厳の滝そのものです。ショーペンハウアーの文章はたいへん読み易いもので、彼自身、重大なことを平易な文章で表すことこそ偉大なのだと言っています。ショーペンハウアーの言葉には「意味」に対して強力な腐食剤として作用するところがあります。「~に過ぎない」と多用される言い方にそれが端的に表れています。「意志」とは「神の意志」の「神の」を取り払った言葉と考えていいでしょう。類い稀な名文家によって書かれた第一級の哲学書です。弁証法を哲学の根幹に据えたヘーゲル哲学に真っ向から異を唱えた哲学者でもありました。


「ユング自伝」ヤッフェ編

ユングは、自分の個人的な出来事を語るのを好みませんでした。ユングの秘書ヤッフェがいなかったら、この書物は出来上がっていなかったでしょう。ですが、実際出来上がった書物を読んでみると、この本がじつに価値のある得難い本であるのが分かります。ユングは精神科医でしたが、ユング自身がそのまま統合失調症者でした、じつに様々な妄想や幻覚に襲われています。この自伝は、そのユングがどのように自分の病気を克服し治癒していったのか、その精細で破格な記録の書です。若年期また病状の重いときのユングの見る夢や幻は、鮮烈を極めます。ユングの心理学が、イメージの心理学と言われる所以です。現代のオデュッセウス神話を生きた人物です。