Sekiの本と詩とエッセイのブログ

おすすめ本や自作詩、エッセイなどを載せていきたいと思っています。

閑話休題 御器かぶり(ゴキ〇リ)考 <前知識人たちの最大の害虫>

くだらない話で、申し訳ないが、御器かぶり、ゴキブリの話である。ゴキブリが、なぜまた、これほど多くの人に、異常なほど嫌われているのはどうしてだろうかと気に掛かるのである。


わたし自身、もちろんゴキブリは嫌いで、見つかると身の毛がよだち、やっつけるのだが、あるとき、ふと「ゴキブリと言えども、生き物には違いない。それに虫としてはノーマルな形をしているし、何かの伝染病を介したという話も聞かない。人体を傷つけもしない。むしろ、自分の体を清潔に保つという習性さえ持っている虫だと聞いている。」と思い返した。それで、こう考えたのだが、人の居住する生活空間に、いきなり、ああした大型の虫が姿を現し、また忍者のようにすばやく捕まえ辛いから、みんな驚いて、毛嫌いするのだと。


だが、多くの人のゴキブリに対する憎悪は何か異常なものがあって、それだけでは説明不足のような気がした。 ユング流に、ゴキブリをわれわれ現代人の無意識界の代表的な存在として論ずる、うがった見方も可能かも知れないが。


それはともあれ、こういう話を聞いた。これはある高名な仏教者で、名前を明かすと鈴木大拙という一時代前の知識人だが、この人は仏教者だけに殺生を嫌い、どのような虫や害虫といえども、寛容な態度で接し、殺生をしない御仁だったのだが、ゴキブリだけは、見つけると血相を変えて追いかけ回して退治したという。


ゴキブリは、昔の本の背表紙の”のり”を好んで食べる性質があって、鈴木大拙は大切な蔵書をボロボロにされてしまうので、「あいつだけは本当に困る。」と嘆いていたそうである。これは、その仏教者だけに限らない。その当時の知識人たちの共通の事情だったであろう。知識人たちにとって、本ほど重要なものはない。現在、本は、ほとんど全部化学糊が使用されているので、本を食い荒らされる心配はないのだが。


これで、それなりの説明はつく。つまり、一時代前の知識人階級たちに目の敵にされた虫なのである。


それが、世間の人々にある歪みをもって伝えられ、誇大すぎる表現を生んだ。「人類が滅んでも、ゴキブリは生き続ける」とか「一匹見つけたら、二十匹はいると見なければならない」とか「ゴキブリは絶対にゆるさない」とか。他にも色々な、中には、相当えげつないような話もあって、煩わしいから略すが、ともかく、清潔好きの日本人には、格好の標的となる日本の知識人にとっての最大の害虫だったのである。


ちなみに、ゴキブリが出て、大騒ぎする国は日本とアメリカだけで、他の国はただの虫扱いをするのである。それで、先程の鈴木大拙という人だが、この人は、特にアメリカを中心に、禅仏教を英文で広めた人で、仏教と言えば、欧米では禅仏教を指すという常識を作った人である。それで、アメリカでも嫌われていることに説明がつく。 また、本来、御器かぶりという名前だったこの虫を、「か」を抜いて、ゴキブリと表記して広めたのも、ある日本の知識階級の人である。御器かぶりなどという表記は、この虫には可愛らしすぎるとでも考えたのであろうか。


こうして見ると、知識人たちの権威とその影響というのは、訳の分からないところがあるようだ。現在、それほどの力を持った知識階級は姿を消してしまったようであるが。


閑話休題2


害虫とか益虫とか益鳥などという表現は、動物愛護が浸透した加減で廃れてしまったが、あるとき、ツバメの話をしているおばちゃんたちにぱったり道で出会した。「あれ、こっち目がけて飛んでくるわよね。危ないわよね。」とか言っていた。ツバメが、人を襲うことなどは、まず考えられないし、また、人間にとって害虫である虫を好んで食べる代表的な益鳥であることを知らないでいる。人間中心主義を脱するのは良いとして、これは、一種の転倒であろう。


当今、まるで、勢いを無くしてしまっているような知識人たちであるが、ともあれ、まっとうな人が現れて欲しいものである。