Sekiの本と詩とエッセイのブログ

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エッセイ 資本主義経済考 <巨大な社会運動>

ひとことで、資本主義経済というが、その本性は定義も、ある大まかな分類も不可能な、巨大な世界的現象で、文学上のロマンティシズム運動が定義不可能な大きな運動であるよりも、もっと規模の大きな社会的運動であるということである。


分かっているのは、大規模な需要に対する大規模な供給、それと、なによりも速さを伴わなくては、富を集積できないというのが、この運動の主な特徴ということだけであろう。


共産主義は、そのプロテストとして生まれたが、歴史的な審判を受けなくては、その私有財産を否定する思想の基盤が脆弱であることを証せなかった。中国は先富論という苦肉の策でこれを乗り切ろうとしているが、果たして、多くの健康な中間層が社会の中心に成り得るかは、これからの課題であるし、一党独裁という政治体制も気に掛かる。共産主義政体は、独裁制を保持するためだけの政治的な看板にしか見えない。逆に言えば、それだけ政治的権力にゆとりがない。


では、資本主義経済の基盤は確固としたものなのか。少なくとも、共産主義より確かであったことは、ロシアの歴史を見るより仕方がないというところである。


先述したが、富は国または法人の信用度の度合いに還元された。そうして、これは、徹底して相対的な価値となった。だから、もう一つ明らかなのは、国や法人が信用されなくなれば、富もまた消えるということである。


経済という社会生理現象が、行方も知らず走り出し、規模を巨大化し成長し続けていくのが常態である。これは、宇宙が光速で膨張し続けているという現代の物理学観に見合う社会現象であろうか。


この巨大な奔馬の走りは、誰にも止めようがない。止めようとするあらゆる運動を巻き込んで進んで行くことは確かなようである。


ところで、奔馬は時に、自ら失速する。大恐慌やバブルであるが、そうした古傷は古傷として記憶され、幾分成長に歯止めをかける政策がなされるが、基本的に成長し続けることをいつまでも望む。


不思議な現象である。何よりも、この運動の担い手である社会構造が健康体で居続けられるよう願うばかりであるが、人間の成長過程としてみれば、あまりにも成熟を望まない不思議な人間である。


それで、日本のことを、振り返って思うのだが、たしかに、平均寿命の延び方は尋常ではないし、少子高齢化の状態となっているのは、この資本主義経済に対する、もっともな人口構成率なのかもしれない。もっともなというのは、人口が増加傾向にあった時代は、これ以上人口が増えたら日本はどうなってしまうのかと色々な不安な試算がなされていた時代だからである。


今は、人口減少を食い止めようと必死の有様だが、当時を知っている者としては、いささか滑稽な感を覚える心配ぶりである。日本では、少なくとも、この巨大な運動に対して、国民皆でどこかで歯止めを掛けようとしているのではないかと思えるような現象といえるからである。


資本主義経済という奔馬も、どこかで自ら老いて、成熟する道に入るのだろうか。それとも、そうした見方は、あまりにも人間的な見方だろうか。