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リパッティ モーツァルトK310<形而上学の可能性>

ずいぶん前から聴いている曲だが、このピアノソナタはリパッティの演奏が一番よいと思っている。だが、リパッティはモーツァルトのピアノソナタでは、この「K310」一曲しか残していない。早逝もあるが、なぜわざわざこの一曲なのだろうと、いろいろ想像を巡らしていた。


というのは、ショーペンハウアーが「意志と表象としての世界」の中で、形而上学を語るときに、音楽でしか形而上学は完成しないだろうと断って、あえてとでも言うようにこのモーツァルトの小品一曲だけを例として挙げているからである。


かねがね、ショーペンハウアーがどうしてまた、モーツァルトの他の名曲、大曲を差し置いて、この小品を選んだのか不思議に思っていた。


思うに、この教養の高いピアニストはショーペンハウアーを読んでいただろう。そうして、この孤高の哲学者の真意をすっかり理解して演奏に臨んだに違いない。


第一楽章のまさしく運命のハンマーで叩かれるような耳が痛く感ずるほどの動機の提示から、第二楽章の導入部、リパッティでしか聴けないような絶妙で感動的なフォルテの一息。


これは、ショーペンハウアーのこの書の極度に圧縮されたエッセンスそのものだと気づいた。


この曲はあまりピアニストが取り上げない曲である。私は他には、ギーゼキングとグールドでしか知らないが、リパッティの方が余程いい。


やはり、音楽はたいへんなことをやってのけるものである。ショーペンハウアーの大著とモーツァルトの小品がちょうど釣り合いをとっているのである。